後編

ここのシャワー室は設備が充実してるな、と思う。
普通、軍のシャワー設備なんて、むさくるしい野郎ばっかりが使う、簡素な、それこそ公共施設のシャワーみたいに仕切りとシャワーの蛇口だけというのを想像してしまうけど。
お風呂があるんだ、東洋式の。大きいやつで、いつでもわいてる。中央だから他所の司令部よりも充実してるのかな。元の身体に戻れたら、とアルフォンスは考える。肩まで浸かってうだうだしてみたい。ささやかな願いだな。
それはともかく、いまはこのどろどろ兄貴をなんとかしなくては。
「全身かぶってるんだから、髪の毛もちゃんと洗ってね」とクギを指して風呂場へ追いやる。なんだよ〜とか、ついてねぇ〜!とかぶつぶつ言いながらも、あれじゃあ自分でもどうにもならないだろうし。
自分もなんとなくカレーっぽいかな、とあちこちを拭いておいた。自分ではわからないけど、きっとここはカレー臭いにちがいない。
兄貴が放り出していった衣類をまとめる。クリーニングに出してもらうしかないかな、とはいえ、このままではあまりに失礼だし、と表面の汚れを落とす。黒いからしみにもならないだろう。誰もいない時間帯でよかった。ところで風呂場の方から何の音もしてこない。なんだろう、ちゃんと洗っているのかな。中をのぞくと案の定、湯船に浸かって寝ている兄貴。
「だから早く寝ろって言ったのに」
お風呂で寝ちゃうと危ないんだよ、沈んでそのまま死んじゃうかもしれないのにさ。
呼んでも肩をゆすっても、あーとかうーとか、うなってばっかり。
「午後一で秘扱い資料の閲覧だよ、わかってる?」
「それまでには出るから」
「洗えってば!」もう、このまま沈めてやろうかな。
とにかく、頭を洗ってもらわないと閲覧も断られそうだ。湯船から頭だけ出させてシャンプーしてやる。どうもこれ、作為を感じないわけじゃない行為だなぁ。普段、ふんどしと呼ばれている自分の腰布?が今日はエプロンみたいに見えてきた。
「ちゃんと自分で洗えないんだったら、坊主にしなよ」愚痴ってみる。
「ふん」と返事がある。やっぱり自分でやりたくなかっただけだな。
頭にきたけど、リンスまでしてしまう自分もどうかと思う。でも後でキシキシするのもな。
終わったところで外から呼ばれた。ああ、早く出ないと自分が錆びそうだ。
「ちゃんときれいにしてから出てきてよね!」だらしのない馬鹿亭主を持った気分だ。

「すみません、フュリー軍曹。お借りします」貸してくれる軍服を受け取る。
「それと…」
髪留めを手渡された。え?これは?
「アルフォンス君、ホークアイ中尉みたいに彼の髪をまとめられる?」
何を言ってるんだろう、この人?
「大佐がね、エドワード君はきっと中尉に似てるって言うんだけど」
ニヤリ。そういうことか。
「やりましょう」二つ返事でのった。シャンプーまでさせたんだ、やるんだったら徹底的だ。
「大丈夫かな」
「たぶん。寝不足でうだうだしてて、自分で頭も洗わないんです。乾かしてやるといえばホイホイ言うことをきくはずですし」ぶっとい鋼の指を目の前に突き出して「僕、こう見えても器用ですから」表情のないはずの鎧の目元が笑ったような気がした。

身体も洗えと言ってきたら沈めてやろうと思っていたが、それはさすがに大丈夫だった。ちょっとご機嫌でいい匂いをさせて風呂から上がってきた兄。
「時間がないから早く着替えて」タオルと衣類を渡す。
「時間、大丈夫じゃないか」
「大佐から閲覧の前に寄ってくれって言われたんだよ」
「よりに寄ってこんなときに呼ばなくたって」うぜぇ、と言いたげな兄。
「機械鎧。ちゃんと水気を取っておかないと錆びるよ」タオルをひったくってごしごし拭いてやる。世話女房ってこういうのを言うのかな。でも今はこっちのペースに引き込まないと。こういうときに嬉しそうにされちゃうと困ったような、可愛いような気がしちゃう自分も困る。結局かまってほしいタイプなんだ、この人は。
「服、着たらこっちで髪の毛、乾かしてあげるから」
「へぇ〜、今日は優しいじゃん」そうやって浮かれてろ。
「任せておくと遅いからだよ。早く!」
鏡の前はちょっとまずい。わざと離れたところに椅子を持ってくる作戦家の弟。信じきっている兄貴は素直に椅子に座る。アルったら優しいな〜、こんなことなら、いつもだらだらしようかなーとか、くだらないことを言いながら。
自分も元の姿だったらきっと同じだろうと思う、猫っ毛の髪を乾かす。でも今回は完全に乾かさないようにしなくちゃ、まとめられなくなる。感覚のない手でわかりづらいけど慎重に。そろそろかな?と思ったところで兄の背中が微妙に傾いできた。また眠てるのかな。そうなりゃこっちは好都合。誰の気が利いたのか、整髪セット一式も用意してあった。
確か中尉は一つにまとめた髪をねじり上げてとめている。大人の女性の髪ならばそれも可能だけど、兄さんは猫っ毛だから…といつも髪をくくっているゴムでまとめてから、ねじりあげてとめる。うん、いいみたい。前髪もまん中じゃなく分け方を変えて。
罪のない顔をして寝ている、ミニチュア・ホークアイの兄。かわいい。
そういうことを思ってしまう自分って、やっぱりここの空気に毒されてるんだ、と軽く気分が落ち込んだ弟。まともな大人になれるのかなぁ。
「支度、できたかぁー」悪巧み仲間、ハボック少尉の声がした。

寝不足でぼーっとしてるから、ちょっとくらいの違いには気づかないです、と弟が太鼓判を押した。肩から上着をかけてうたたねしている豆兄貴。
フュリーは外出、ファルマンは打ち合わせで離席中。気の毒になぁ、と覗き込む。
「これ、大佐に見せるの、やばくねぇか?」かわいいじゃねぇか、思った以上に。
「僕もちょっと心配ですけど、そこは皆さんのお力で。よろしくお願いします」
いや、頭、下げられても。
「ところで、こんなことを企んで、ホークアイ中尉に叱られませんか?」
「そこは抜かりない。中尉は今日は終日、研修で不在だ」
二人並べてみたかったけどねー、命は惜しいし。
「とにかく、本人に途中で気づかれるのが怖いですから、敏速に移動して依頼主の元へ」
「じゃ、行くとするか」
おい、大将、とハボックが声をかけた。

すれちがいざまに誰かに吹きだされでもしたら大変だ。なるべく人目につかないように、と気を使いまくった二人の努力が実を結んだ、と言っていいのか。
大佐執務室へたどり着いた。
「大佐〜、用事ってなんだよ。これから書類の閲覧があるんだから早くしてくれよな〜」
口調だけはいつものとおりの、ミニチュア・ホークアイ。
「………」
固まってる、固まってる。いや、ほんとにフリーズってこういうことをいうんだね。
おいおい、大佐、涙腺ゆるんできちゃったんじゃないか?どうしよう、この後が怖いよ。オレ、逃げたくなってきた…。
大きなデスクの向こうで固まっていた大佐がどうにか、こちら側へ歩み寄ってきた。ああ、そこで腕とか広げちゃダメですよ〜とヒヤヒヤする外野。歩み出したら早かった。寝ぼけ気味のエドワードがよけるひまなく、固い抱擁。
「…オイ、これ、どういうことなんだよっ…!」
「可愛い…!」
はぁ?!大佐をどつき倒さんともがくも、今回ばかりはなかなか放してもらえず、外野はヒヤヒヤするわ、この後どうしたらいいんだか、誰にもわからない展開。
やーめーろーよー!!ともがく少年の声に銃声が重なり、室内が一瞬真空になったかのような錯覚を誰もが覚えた。
最悪の?いや、願ってもない最高のめぐり合わせか?
「おふざけは休み時間だけにしてください、大佐。昼休みはとっくに過ぎております」
そんな、今日は終日研修じゃ?でも室内で発砲する人は一人しかいないし。
「エドワードくん、こちらへいらっしゃい」
「なんだよ、中尉!どういうことなんだよ!」
反発しながらも中尉の方へ歩み寄るミニチュア。ああ、夢のようだ。
「今日は大変だったそうね。大佐のおふざけは許してあげてちょうだい」
さきほど銃を撃った細い指先が彼の髪留めをはずし、くくったゴムを解いて指で髪を梳いてやる。
「大佐にぐしゃぐしゃにされてしまったから。やりなおしたほうがいいわ」
器用な女性の指で、いつものとおりに編んでもらう。ちょっと嬉しい豆兄貴。
「文書の閲覧を予約しているそうね。遅れるといけないから」
兄弟を促して執務室から送り出す。そして、振り返る。
「大佐、未決箱の書類が少しも片付いていないようですが?」
魔法のようにフリーズから解かれる男たち。いや、半解凍くらいかな。
「これから集中して片付けようと思っていたところだ」
「恐れ入ります、いずれも至急の案件ばかりですので、必ず、本日中にお願いします。研修後、戻ってまいりますので」
必ず、のところにいやに力が入ってるな、と顔を見合わせるハボックとブレダ。未決箱の標高は推定30cm。
「では、研修に戻りますので」
踵を返して男前に立ち去る中尉。
ああ、でも一瞬でもオリジナルとミニチュアが並んでいるところを見られて良かったな。中尉にクギを指されても、幸せの後味を噛み締める上司。次はぜひ、中尉に一本みつあみにしてもらって。そりゃまた、ハードル高すぎますぜ。おまえ、どうにか考えろよ、どう考えたって無理っすよ…。

え、兄さんですか?ご機嫌でしたよ、あの後。中尉に髪、編んでもらったって浮かれて、階段踏み外してました。軍服も好きじゃないとか言っていたわりに、嫌がらなかったし。あ、はい、今日は殴ってでも早く寝かせます。

なんで私が部下を抱擁しただけで発砲騒ぎになるのか、わからんな。殴り倒したわけでもあるまいに。なんでもアームストロング少佐など、ヤツに会うたびにやってるらしいじゃないか、くそ !

ミニチュア・ホークアイ(前編)